給食のパンを詰まらせ窒息死 千葉、小6男児
- 2008/10/22 13:05
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悲しい出来事ですね。
この出来事に対する反応は人さまざまでしょう。
「責任は誰にあるのか?」
「これは本人だろう」
という反応を多いように感じます。
私は十分な情報をもっていないので
「もっと時間をかけて、事実と人々の反応をみていきたい」です。
色々ある事実の中で
私が1番気になっていること。
それは父親が「事実を明らかにして欲しい」と
いっていることをどう捉えたらよいのか。
それを知るには情報が足りなすぎるということです。
両親にしてみれば「やりきれない気持ちでいっぱい」だと
私は思います。
その気持ちからどういった思いで父親の
「事実を明らかにして欲しい」という
言葉がでてきたのでしょうか。
なぜ私がここを1番気にしているのかというと
「事実を明らかにして欲しい」という言葉を聞いた
世間の人々の反応の一部に
「親は学校に責任を問おうとしている」
というものがあるように感じたからです。
この一部の反応を始まりとして話を進めると
「ならば責任を取らされなくていいようにもっと管理しよう」
と声をあげる人がいるのではないか。
私はそう思って怖くなるのです。
どのような情報が足りないのか知るために
父親の気持ちの流れを空想で追ってみます。
「なぜ?どうして?うちの子が」
↓
「どうしてこんなことに?」
↓
「うちの子がわけもなくそんなこと(パンをいっぱい口に詰め込む)をするわけがない」
↓
「そのわけを知りたい」
という流れが自然なように私は思います。
この流れでいうなら
「事実を明らかにして欲しい」といった父親の気持は
「学校の責任を問う」
よりも
「せめてそのわけを知って、うちの子はわけもなくそんなことを
する子じゃないといって、うちの子を守ってあげたい」
のほうがより近いのではないでしょうか。
私は「子供を守ってあげたい親心」から
「事実を明らかにして欲しい」といったのだとみたてています。
もちろんこれらの父親の気持ちは情報を持たない私の空想です。
けれども父親の気持ちがどちらに近いのかによって
関わる人々のとるべき対応は変わります。
だから今1番苦しんでいる両親の気持ちを知る前に
いそいで考えてしまうのは控えたいのです。
そういう意味では
「責任は誰にあるのか?」
「これは本人だろう」
というなにげなくしているような反射的な考えの反応だって
両親をさらに苦しめてしまうかもしれないことを
きにかけておきたいです。

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