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給食のパンを詰まらせ窒息死 千葉、小6男児

  • 2008/10/22 13:05
  • 598アクセス
  • 4コメント

悲しい出来事ですね。

この出来事に対する反応は人さまざまでしょう。

「責任は誰にあるのか?」

「これは本人だろう」

という反応を多いように感じます。

私は十分な情報をもっていないので

「もっと時間をかけて、事実と人々の反応をみていきたい」です。

色々ある事実の中で

私が1番気になっていること。

それは父親が「事実を明らかにして欲しい」と

いっていることをどう捉えたらよいのか。

それを知るには情報が足りなすぎるということです。

両親にしてみれば「やりきれない気持ちでいっぱい」だと

私は思います。

その気持ちからどういった思いで父親の

「事実を明らかにして欲しい」という

言葉がでてきたのでしょうか。

なぜ私がここを1番気にしているのかというと

「事実を明らかにして欲しい」という言葉を聞いた

世間の人々の反応の一部に

「親は学校に責任を問おうとしている」

というものがあるように感じたからです。

この一部の反応を始まりとして話を進めると

「ならば責任を取らされなくていいようにもっと管理しよう」

と声をあげる人がいるのではないか。

私はそう思って怖くなるのです。

どのような情報が足りないのか知るために

父親の気持ちの流れを空想で追ってみます。

「なぜ?どうして?うちの子が」

「どうしてこんなことに?」

「うちの子がわけもなくそんなこと(パンをいっぱい口に詰め込む)をするわけがない」

「そのわけを知りたい」

という流れが自然なように私は思います。

この流れでいうなら

「事実を明らかにして欲しい」といった父親の気持は

「学校の責任を問う」

よりも

「せめてそのわけを知って、うちの子はわけもなくそんなことを

する子じゃないといって、うちの子を守ってあげたい」

のほうがより近いのではないでしょうか。

私は「子供を守ってあげたい親心」から

「事実を明らかにして欲しい」といったのだとみたてています。

もちろんこれらの父親の気持ちは情報を持たない私の空想です。

けれども父親の気持ちがどちらに近いのかによって

関わる人々のとるべき対応は変わります。

だから今1番苦しんでいる両親の気持ちを知る前に

いそいで考えてしまうのは控えたいのです。

そういう意味では

「責任は誰にあるのか?」

「これは本人だろう」

というなにげなくしているような反射的な考えの反応だって

両親をさらに苦しめてしまうかもしれないことを

きにかけておきたいです。

前ケンさん

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