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精神科看護師兼精神科患者が半生を語ってみます。

  • 2015/06/06 01:20
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 現在双極性感情障害の診断を受け、常勤→非常勤を10カ所ほど→常勤3年目となった看護師です。他のスレットで私の病気に受容ができない、病気と向き合ってというコメントがあったのでこの場を借りて自分を振り返ってみます。チラシの裏に書いてもいいんですが、ここで書いてみます。

 看護師を志したのは中学生の時、父親が僕と同じ躁鬱病で閉鎖病棟へ入院するレベルでした。もう死ぬしかないと一家全員の乗った車ごと断崖絶壁から海に飛び込もうとしたり、躁になるとギャンブルで2000万円の借金をしてきたり浮気しまくったりする父親を見て育ち、それに準じて母も鬱病を患いました。ヒステリックになった母親に、躁状態の父親に包丁を突きつけられ「お前なんか産まなきゃ良かった」「もうだめだ一家心中だ」となったこともあります。そんなとき父は薬嫌いでクリニックに母が父親の薬を取りに行くのが日課だったのですが母の鬱がひどく中学生の僕が父の通うクリニックに薬を取りに行き父の主治医と面談、はじめて両親が精神疾患であること、直せる薬があることを知りました。そして精神科という分野に興味を持ちOTか臨床心理士、看護師になってみたいと思いました(医者は頭が悪い自覚があったので候補にすら入ってなかったです)。看護学校でも精神科分野の成績は毎回満点で国家試験でも全問正解でした。そして精神科救急に1年半勤めます。しかし1年半で僕が学んだ看護師としての一般手技技術は留置針と採血だけでした。PEGもバルーンも入れられない酸素の付け方もわからない、導尿もサクションもやったことないそれで看護師3年目に突入する・・・。それが不安で内科へ転職しました。一般科で働くのは初めてなので厳しいだろうと思っていましたが想像以上でした。朝5時半に起きて7時は病棟で処置準備、サービス残業で帰るのは22時~23時と・・・。3ヶ月すぎたころから彼女(婚約者)に言われました「今のあなたは絶対に変、病院いこう?」と。今はもうあまり覚えていませんが徘徊したり、首をくくって失禁しあばれ回ってヒモがほどけて気絶していたり、ワイルドターキーを3瓶イッキ飲みしたり、「もう死ぬしかない」という言動がひどかったそうです。精神病院にいくのは絶対に嫌だと言ったのですが彼女がメンタルクリニックの予約をして引っ張られるように受診、主治医から「入院するか、今の仕事を辞めて自宅で療養するか選んで下さい」と言われ仰天、そのとき主治医から病名の告知はされなかったですが、精神科での経験から確実に気分障害の患者にだされる薬が私にだされました。私が精神疾患を持つ両親の元で育ち精神科に興味を持ったのですが、自分もなってしまったということになんだか運命に負けたような屈辱敗北感無力感を感じるのです。しかし3ヶ月で手技は身につけられ現在は認知症主体の精神科病棟勤務なのですが僕の3ヶ月病気に罹患するほど追い詰められ得た技術は重宝されております。彼女もこんな状態になったぼくとでも一緒にいてくれると言っています。ただ怖いのです、父親と同じ病名がついたことが私には恐ろしくてたまらないのです。自分で自分をコントロールできない、気分なんていう数値で表せないモノに対する病気です。僕の半生は精神疾患と共に歩んできてついに自分まで診断がついたことにまだ受け入れられないのです。愚痴でしたね、自分の半生をラウンジに投稿してなにしたいねん。と思われる方も多いでしょうが語りたかったのです。お目汚し失礼致しました。

たかおみさん

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