涙がとまりません
- 2016/03/24 19:34
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お目にとめていただき有難うございます。1年目の20代後半女です。
高校在学中はやりたいこともなく、卒業してからも暫く親の脛をかじってダラダラ過ごしていましたが、このままではいけないと一念発起して受験しました。3年次の領域実習ではボロクソに扱かれ、食事も苦痛となり倒れて留年し、ストレートにはいきませんでしたが、家族や友人、アカデミックの先生方の支えのお陰で去年卒業と国家試験合格まで辿り着くことができました。
希望に胸をふくらませ新卒入職した病院は急性期、回リハ、慢性期とあり、私は慢性期病棟の配属でした。人間関係も良く充実した日々を送っておりましたが、業務中に腰椎椎間板ヘルニアを患い、痛みのあまり不眠が続き、体調を崩してしまいました。その後就業不可と診断を下され、半年程で退職となりました。
在職中両親に相談しようとしたことがありましたが、自分達の時はもっと辛かった。眠れない?腰痛?それくらいでふざけるな云々とたたみかけられ言いたいことの1割も話せずに強制終了でした。
自分達も医療従事者なのに人の話を最後まで聞かないのか……とその後は相談する気にもなれませんでした。相談したくても恐くて誰にも相談できず、苦しい日々でした。
退職後暫く自宅療養し、情報収集にと思い紹介会社に登録した所、あっという間に面接のセッティングまでされ、療養型の病院から内定を頂きました。(急性期も何ヵ所かあたりましたが全て採用ならず…)
そして迎えた入職日、先輩方はとても親切であたたかく迎え入れて下さり、経験豊富な方ばかりの中に飛び込んで不安もありましたが、少しでも早く馴染めるように、技術習得や疾患の勉強に必死で取り組み、あっという間に一週間が終わる日々でした。
入職から2週間が過ぎた頃、とっさに患者さんを抱えようとした際に腰にビキッと激痛が走りました。コルセット装着していたので動くことはできましたが、脂汗が滲みキビキビ動けなくなりました。
翌日整形外科を受診し、処方された鎮痛剤の内服と湿布を追加してだましだましで過ごしていましたが、痛みは増す一方。
そして3週目も終わろうとしていた頃、激痛のあまり朝起き上がることができず、欠勤してしまいました。本当にクズです。先輩方も腰痛で苦しんでいる中、私は欠勤してしまいました。情けないです。
週が明け、再び出勤し先輩方に挨拶まわりをしていた所、部長に呼び出され解雇を言い渡されました。入職後4週間目のことでした。
あの時無理にでも出勤していたら私はまだ看護師としていられたと思います。
恐らく保険の手続き等されているので、履歴書に記載する必要があると思います。試用期間4週間で退職、しかも大学入学以前の職歴もない、無駄に歳を取っている、 爆弾持ち、普通免許と看護師以外の資格もない私。パソコンが人より少し得意な位で突出した何かがある訳でもない。
せっかく国家資格を手にすることができたのに……今後のことを考えると絶望しかありません。
さっきも親に話そうとしました。このまま症状が進めば歩けなくなるかもしれないこと、解雇を言い渡されたこと。腰のことを話したところ、半分も話せないうちに、根性で仕事をしないともう仕事に就けないよ、同じことを繰り返して動物以下だと言われ、それ以上話す余地もありませんでした。
実家はクリニック経営で、3年以内にはそこで働いてほしいと言われておりましたが、臨床経験もまともに積めていない状態ではとても無理だと思います。
痛みのあまり日常生活もままならない現状、精査した上で治療に臨むことを考えました。
しかし、治療したところで私は仕事に就けないのではないかと思うと将来を悲観し、何度も死のうとしました。でも死にきれませんでした。必死に勉強してこの道を目指したのに、こんなことになってしまって。去年私が国家試験に受からなければ私とは比べ物にならない素敵な看護師が一人誕生していたのに。
破綻した文章となり申し訳ありません。いまも事実を受け入れられず頭が混乱しております。
自分が情けなくて悔しくて悔しくてたまりません。使い捨てのただの部品でしかない。ゴミみたいな人生でした。そう思うと涙がとまりません。
こんな重いこと友達には話すことはできません。ただ吐き出す場所が欲しくてこの場をお借りしました。
気分を害されたことと存じます。申し訳ありません。

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